The founder of the games dreamed of inspiring world peace. He created an event that's always done the opposite. 平昌五輪による南北和解などない デービッド・クレー・ラージ(カリフォルニア大学バークレー校シニアフェロー)
さて、平昌冬季オリンピックが開催されましたが、日本では三連休の間にテレビなどで観戦された方も多いと思います。
しかし、実際のオリンピックの歴史を振り返ってみると、このクレー・ラージ教授が述べられているように、今回の南北関係改善と和解の約束もまた、空虚なものに終わる可能性が高いと思われるわけです。
いつの時代も参加国は、このオリンピックという大会を国際社会に自国の強固な主権を見せつけるための完璧な舞台だと見なしてきました。
平昌オリンピックを考える上で、近代オリンピックの全大会の中でも特に心に留めておくべきことは、1972年のミュンヘン夏季オリンピックです。この大会は、イデオロギーによって東西に引き裂かれた国家ドイツの西側陣営である西ドイツで開催されました。
開催の最大の目的は、東西ドイツの対話と和解を推し進めることで西ドイツのウィリー・ブラント首相の打ち出す東方政策とも合っていました。東ドイツや共産圏と積極的に話し合いを進めようとする外交政策でした。
1896年アテネオリンピック以来の近代オリンピック大会と同様に、IOC(国際オリンピック委員会)はこの平和の祭典が国際理解と友好を促進し、世界をよりよい場所にするものだと信じていました。
しかし、今から45年前の1972年のミュンヘンオリンピックでは、11人のイスラエル代表選手が殺害されたパレスチナ過激派によるテロ事件がありました。彼らは、パレスチナ人の苦境を世界にアピールするためには、ミュンヘンオリンピックがこれ以上ない最大のテロ実行の舞台であると考えていました。
結局、ミュンヘンオリンピック開催中での惨劇はイスラエルとパレスチナの対立を激しく悪化させ、現在まで続く暴力と報復の連鎖を後押しすることになっています。
1972年のミュンヘンオリンピックと比べると30年前の1988年に韓国で開催されたソウルオリンピックは大会中の人的被害はありませんでした。しかし、この大会からも平昌オリンピックへの教訓が読み取れるというわけです。
1980年代当時、北朝鮮はオリンピックを南北共同開催を提案していました。世界から非難されてばかりの北朝鮮の金日成が平和を愛しているかを国際社会に見せつけようとの狙いがありました。
同時に北朝鮮は、「提案が聞き入れられなければ大会をボイコットする、さらには何らかの偶発的軍事衝突が発生しかねない」と警告していたようです。
北朝鮮はソウルオリンピックをボイコットしただけでなく、大会妨害のためにテロ事件を起こしました。開催前年の1987年には北朝鮮工作員が大韓航空機を爆破させ乗客乗員115人を殺害しました。それでもミュンヘンと同じく、ソウルオリンピックもIOCの勧告に従い、予定どおりに開催されました。
これまで金日成の孫である金正恩が行ったことは、核開発やミサイル発射実験を続けて険悪な雰囲気を作ることで、間近に迫る平昌オリンピックの評判を貶めてきたことくらいでした。
過去のオリンピックの歴史から読み取れるものがあるとすれば、平昌オリンピックは北朝鮮と韓国の真の和解などもたらすことはないどころか、明日にでも何らかのテロを起こすと思われます。韓国にいる日本人は一刻も早く日本に帰国すべきだと思います。
|