「発酵」と「腐敗」という現象がありますが、これは菌だけの話ではなく、人にも当てはまることだと思います。
まず、人が集まると自然と場ができ、そしてどんな会社組織でも大きく分けて2つの方向に分かれるわけです。一つは、常にお互いに責め合って非難し合う会社組織、もう一つは、常に部下を叱りつけて萎縮させている会社組織です。
そのような組織は、立派なビルに本社を構えている大企業だったとしても、一歩入るとおかしな雰囲気を醸し出しています。そして、なぜか長く続くことがありません。
一方、お互いに褒め合って従業員ものびのびやっている「人」組織もあります。今は古い雑居ビルに入っている中小企業だったとしても、将来的に発展する可能性を秘めているわけです。
優秀な経営者というのは、そういう場を作るのが上手いわけですが、当然、誰でも同じ働くならそういうヨーグルトのような「発酵(人)」組織で日々を過ごしたいはずです。しかし、世界的に現代社会というのは、もう全体がただ腐っているだけの腐敗の場になりつつあります。
例えば、私はある地域のスクールを15年以上も経営していますが、正に腐敗、汚れの場になりつつあることを知っています。そこにいる従業員に私が何かを提案するたびに必ず反発され、批判されてきたわけです。
結局、多くの腐敗人間が大勢いることによって、ただ反発や批判することだけが目的となっている風潮があり、理由もなく反発や批判をすることそのものが民主主義・資本主義だと考えていることになっているようにも思えてきます。
このことは冷静に考えてみればわかることですが、世の中にある会社という存在の全てが悪ということではなく、例えば、ご飯を食べるお金がない人を助けているのは吉野家であり、仕事が見つからない人を助けているのはマクドナルドなのは事実なのです。
しかし、「人間」たちはこれまで全部会社のせいにし、誰かのせいにしてきました。そして、今まで誰一人も救ったことがないわけです。そのような中で、その「人間」たちも自然循環が転換しつつある今、徐々にメンタルヘルスを悪くしていくのは当然であって、さらに腐敗が進んでいくわけです。
「なぜ人と人が仲良くなっただけで叩かれるのか?」 「なぜ思ったことを素直に言っただけで叩かれるのか?」
一般的に、現代社会はかなり腐敗していますが、日本の場合、私はその大きな原因は小学校教育から始まっているように思います。子供の頃からそこがダメ、あれがダメと散々ダメ出しされて生活し、そのような中で成長すると心が腐ってしまうことで立派な腐敗菌に育つことになります。
腐敗菌に成長した多くの日本人は、会社に就職すると、今度は他のピュアな菌に毒を吐いて腐敗菌に変えてしまい、腐敗スパイラルが出来上がることになります。つまり、この日本で生まれ育ち、学校教育を受けて育った時点で腐敗の場からのスタートになっているということです。
だから私は、このような汚れの場からの影響をなるべく少なくしようとこの数年間を過ごしてきました。最低限の関わりだけを大事にし、「人間」たちの腐敗言葉から遠ざかろうとしてきました。そして、一部の「人」たちだけの癒しの場を作ってきました。
さて、多くの「人間」が完全に忘れ去ってしまってることは、その昔、我々は発酵の世界だけにいたということです。この世界には今とは正反対でお互い自由に自分の心に従ってのびのび生きることができていたように思います。
実際に、お互い褒め合って、認め合って、笑い合える真逆の世界があるのですが、現代社会は逆の底に向かって行こうとしているようです。これは、多くの人間が本当に大事なことを思い出した時に急反転し、悪が極まれば急反転する兆候だと考えられます。
今は特に、その大事なことを確認するプロセスであって、ここを通り抜ければ真逆の世界に戻ると私は考え、クリティカル・イヤーの2020~2021年に向けて少しずつ進んでいるというわけです。
最後に、このような指摘をしている学者がいることをご紹介したいと思います。なんと東大の教授が「学校に行かせるな」と言っています。
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