最近、つくづく思うことがありまして「そろそろ普通の生活をしたいなぁ」と感じるようになりました。
Atlasマンツーマン英会話を創業して17年、そして社内にWebマーケティング事業部というシンクタンクを設立してから早いもので6年が経ちました。かなり急いでここまで来ましたが、そろそろ落ち着きが経営者としては必要かなとも思い始めています。
なぜなら、結局、普通の生活、を知らなければ顧客の生活空間が見えてこないからです。となると、やはりビジネスの話になってしまうのです。経営者なんというものはそのような者なのです。今日はそんなわけで、某大手英会話スクールの説明会に参加しました。
そこで、とても驚いたことがありました。それは、説明者として登壇したのが私の従弟だったからです。私が最後にあったのは高校時代でしたので、実に25年ぶりの再会でした。その頃とまったく変わらない従弟でしたが、この世界でずっと変わらぬ情熱をもって教育を続けられていることを知りました。
なぜなら、この世界、結局のところ収益を拡大しようとすればするほどスクールの数を増やさなければならず、結果として固定費としての人件費とテナント家賃代がかかることによって、結局は規模の経済が働かないことにより2007年のNOVAや2010年のジオスのような悲劇(=倒産)を迎えるという例がよくあるからです。
その結果、2000年代に入ってから、英会話スクールや塾の教育業界ではM&Aが日常茶飯事になっています。従弟の口からも、日本人であれば誰もが知っている英会話スクールの創業経営者が、株式をすべてむしりとられて自殺したといったお話を今日、聞きました。
なぜ大手英会話スクールの説明会に参加したのかというと、今、Atlasマンツーマン英会話でレッスンを受けている大学生の会員たちを見ていると、どうしても我慢がならないことがありました。それは、何と言うのか、どことなく覇気がないのが気になったのです。
2003年頃、私が自分で講師をやっていた時にはまだ食らいついてくる大学生の受講者たちが男女問わずいて、その人たちはその後、無事に立派な就職を果たし、今でも仲良くしています。でも何というのでしょうか、どことなく違うというわけです。なんでだろうと悩んでいたのですが、今日の従弟の説明を聞いていて納得しました。
つまり、彼らは優秀な学生さんたちであればあるほど、学習塾や予備校がマーケティングのために実は操作している偏差値の数字に親ともどもコントロールされ、それで選び抜かれてきた人たちだからです。そこには、なかなか自分の意思というものは反映しづらい状況に常におかれているようなのです。
確かに、偏差値競争そのものは昔から確かにありましたが、今とは大きく違うのは、インターネット化が進み、親たちがますます忙しくなる中、こうした数字の支配というものがいっそう教育の中では進んでしまっているということです。
しかも、子供たちが私のような団塊ジュニアの頃であれば大勢いたので、受験される学校側は殿様商売でいられました。ところが今は子供たちが少ないため、受験される学校より前に子供たち(親たち)と関係をつくってしまう学習塾や予備校側によるマーケティングが受験される学校への人気度そのものを支配する力をもってしまっているのです。その結果、ビジネスとしての学習塾・予備校のマーケティングに親たちは確実に左右されてしまっています。
Atlasでも、実はどうするかという議論をした際、意見がありました。中には、「評価基準をつくって、多面的・客観的にカウンセラーや外国人講師がそれに基づいて受講者たちを評価すれば良いのでは?」というものでした。しかし、私はそれに反対しました。なぜなら、教育とは一方向のものではないからです。
情報リテラシーという切り口で最近はマンツーマンレッスンと連動させてきましたが、まずは教える側が丸裸にならなければダメなのです。泥んこになって、それで子どもたちと四つになっていく。そういう中で、ただでさえリスク社会の中で非常におどおどしてしまっている子どもたちは徐々に心を開いていくのです。
そこからがすべての教育の始まりです。評価とか、教材とか、そんなものではなく、すべて教育の原点は、情熱だと思うのです。今日の従弟による説明は、その意味で日本の教育の現状を理解することができました。1時間、実に久々にあっという間でした。
やはり、日本人というのは見た目には同じように見えても、大きく分けて2種類いるのではないでしょうか。それにしても、妬みとか恨みとか言ってる場合ではないと思います。
同じ日本人であるにもかかわらず、そうした振る舞いに出る大企業や学校教育の関係者たちに対して、もはやこれ以上、日本人を愚弄するものは絶対に許せません。景気が悪いからといって、人柱を積み上げることで需要喚起するということ自体、人間のやることではないからです。
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