Atlasマンツーマン英会話

イギリスの実質平均週給が150年ぶりに下落|Atlasマンツーマン英会話

札幌、東京、横浜、名古屋、栄や金山エリア、大阪梅田エリアのマンツーマン英会話

Atlasの特徴レッスンコース・授業料一覧スクールを探す無料体験レッスン子供英会話Atlas KID'Sオンライン英会話

ホーム > 世界恐慌から始まる時代の転換期を迎えたAtlasマンツーマン英会話の新しい方向性

イギリスの実質平均週給が150年ぶりに下落

世界中の株式市場でイギリスのEU離脱をきっかけとした株価急落の値戻しはほぼ終わったようです。アメリカにいたっては、主要株価指数が次々に史上最高値を更新しています。結局のところ6月24日の金融市場の動揺は、まったく根拠のないから騒ぎだったのでしょうか?

 

イギリス勤労者の実質平均週給を1850年から2015年までという超長期で描いたグラフを見ると、165年間の長い歴史の中で、イギリスの勤労者の実質平均週給が減少したのは、ビクトリア女王治世の最盛期だった1860年代以来じつに150年ぶりのことだそうです。

 

これは二つの重要な歴史の教訓を示しています。一つ目は、政治・軍事・外交などにおける国威の発揚と庶民の生活にはなんの関係もなく、むしろ国家としての栄光の時代は庶民生活が苦しい時代でもあったということです。

 

改めて、近代イギリス史にとって1860年代とはどんな時代だったのかをふり返ってみたいと思います。「女王の時代に繁栄する」と言われたイギリス歴代の国王・女王の中でも有数の長い治世を誇ったビクトリア女王(在位1837~1901年)の治世も折り返し点に差しかかっていました。

 

当時の大英帝国は、世界帝国としてまさに「1日中太陽の沈むときがない」と言われるほどの広さに拡大していました。インドの全土をほぼ制圧し、二次にわたるアヘン戦争で中国の重要な貿易港を開港させ、三次にわたる対ビルマ戦争によってビルマ王国のインドへの併合もほぼ完了していました。

 

しかし、ちょうどその頃、イギリス勤労者の実質平均週給は下落に転じていました。この下落の要因のひとつは、アメリカで奴隷制の維持をめぐる南北戦争が勃発したために、当時まだイギリスの基幹産業の一角を形成していた綿工業が、アメリカ南部からの綿花の輸入に支障をきたしていたようです。

 

二つ目の要因は、拡大し続ける植民地政策でボロ儲けをして本国イギリスに帰った成り上がり長者の特権的で莫大な収入の大部分が、平均的なイギリス国民の勤労所得向上にはまったく分配されないで、消費や資本の自己増殖のための世界を股にかけた事業規模拡大に使われていたことでした。イギリスの経済成長率の鈍化も、まさにこのビクトリア女王治世の後半から始まり、やがて19世紀末にはドイツやアメリカといった新興国に世界経済成長の牽引役を譲り渡していったのです。

 

さらに、もう一つの教訓は、最近のイギリス経済のジリ貧化は決してイギリスがEUに加盟しているから起きたことではなく、遅くとも1970年代末には始まっていた国力衰退の一環だということです。もちろん、イギリスが従来どおりEUに加盟し続けていたとしても改善できるものではなかったでしょうが、EUから離脱することによって画期的な改善が見こめるものでもありません。

 

イギリスの時間当たり労働生産性伸び率が10年移動平均ベースでここまで下がったのは、近代経済史上最長のデフレ期だった1873~96年の終盤に当たる1890年代前半と、第一次世界大戦勃発直前の1910年代前半の2回だけでした。過去2回は大きく下げることもあれば大きく上げることもあった中での平均値が0.3%前後まで下がったのであって、これほど低い伸び率がそのまま定着しそうな気配はなかったようです。

 

しかし、今回の下げ方はまったく違います。下がったときの下落率は過去の乱高下期ほど大きくないですが、その後の反発の上昇率がもっと低いので、じりじり10年平均が押し下げられているのです。それでは、一体何がこの慢性的な労働生産性伸び率の低下を招いているのでしょうか。

 

イギリスは、経済大国の中で最初に製造業を守ることを非現実的な目標として捨てた国でした。綿工業から鉄道機関車製造ぐらいまでは新興のドイツやアメリカに伍して競争していましたが、1870年代から本格化した重化学工業の大規模化競争には付いていけなかったのです。そこで二度の世界大戦をはさんだ1960年代初頭には、製造業の維持という目標を捨て、金融業に傾斜した国民経済へと転換していきました。

 

この戦略は、金融業界の高額所得者の給与が週給水準を引き上げるかたちでの実質週給の上昇としては、1980年代まで順調に成果を上げていたように見えます。しかし、労働生産性上昇率で見ると、1970年代末にはもうピークアウトしていたことがわかります。

 

この勤労者間の所得・資産格差の拡大につながる経済転換をもっとも鮮烈に推進した政治家だったサッチャーの首相在任期間が1979年に始まり、1990年に終わったのは、政治潮流の変化は実体経済の転換に遅れがちなものだという意味で、非常に象徴的な意味を持っています。

 

世界経済の製造業主導からサービス業主導への転換がほぼ完了しようとしているのは、間違いのない事実です。しかし、この転換をいち早く察知した保守派政治家たちによる、金融業が異常に肥大化したサービス業主導経済への転換は、ほぼ完全な失敗だったことがイギリス経済の慢性的な衰退で明らかになりつつあります。

 

金融業が肥大化したサービス化という同じ道を選んだアメリカは、世界の金融市場をカバーしている範囲がイギリスとは比較にならないほど広いので、もうすこし長持ちするかと思っていましたが、どうやらあまり長い期間を置かずにイギリスと同じ没落への道をたどりそうです。

 Atlas CEO ピーター・ヨネナガが教える「倒産・休廃業(解散)を防ぐ英会話スクールの経営分析コラム」 Atlasマンツーマン英会話への転校をご希望の方に「大手英会話スクールのやめ方・中途解約方法」
生徒さんの声レッスン体験談
入会までの流れはこちら
無料体験申込はこちらから
ページのトップへ

Copyright Atlas Corp.All right reserved.